堺雅人が大河真田丸に!真田信繁(幸村)の生涯は?題名の意味は?
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堺雅人さんが2016年から放送のNHK大河ドラマ「真田丸」で、
主役の真田信繁(真田幸村)を演じることが発表されましたね。
真田幸村というとゲームなどの創作にも登場するほどの
知名度と人気がある武将ですが、
彼はいったいどんな生涯を送った人だったのでしょうか。
あまりよく知らなかったので、
簡単に調べてみることにしました。
真田信繁(幸村)の生涯
まず真田幸村という名前についてなんですが、
これは本名ではなく正しくは真田信繁というんですね。
彼の活躍を描いた創作物で幸村という名が使われていたため、
そっちのほうが有名になってしまったようです。
ドラマ内では史実に基いて信繁という名で呼ばれると思うので、
以後は幸村ではなく信繁と記載していきますね。
誕生から結婚まで
真田信繁は今から450年くらい前、
1567年に誕生しました。
彼の生まれた真田家は
武田氏・織田氏・上杉氏・豊臣氏と
主君を何度も変えています。
豊臣氏に使えている頃に信繁は豊富家臣の娘と結婚。
石田三成の指揮下で忍城攻めにも参加しています。
結婚や戦など盛り上がりそうな要素ですし、
ドラマではこの辺り描かれそうですね。
関ヶ原の合戦
天下分け目の戦いと言われた関が原の合戦では、
信繁は父の昌幸とともに西軍として参戦。
実の兄である信之は東軍につき、身内で敵同士となります。
信繁と昌幸の属する西軍は負けてしまい
処分されるところだったのですが、
信之とその妻の父である本多忠勝のとりなしで命は助けられたそうです。
このあたりもドラマで使われそうな感じですね。
大阪冬の陣
徳川氏と豊臣氏の関係がきな臭くなり、
戦力が必要になった大阪城に信繁は呼び寄せられます。
信繁は敵の攻撃に備え、大阪城の防御の甘い部分に「真田丸」と呼ばれる出城を作り
大きな戦果をあげます。
ドラマの題名の真田丸ってこの大阪冬の陣で作られた出城の名前から来てるんですね。
タイトルになるだけあってこのあたりのシーンは特に力を入れて作られそうです。
大坂夏の陣
その後の大阪夏の陣で信繁は
兵数で上回る徳川勢に突撃し大奮戦するものの、
傷つき休んでいたところを襲われ討ち取られたと言われています。
簡単に大きな部分だけ取り上げましたが、
だいたいこんな感じの流れの生涯だったようです。
放送はまだ1年以上先ですが、
半沢直樹で高い評価を受けた堺さん主演に加え
脚本はベテランの三谷幸喜さんということで、
今から楽しみな作品です。
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